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   穏やかに進行する事態2  


 翌日。<迷宮>へと続く大通りを、ふたりの少女が歩いていた。彼女達が身に付けている黒の制服と赤色のマントは、中心区にあるアーリアル魔術学院の学生であることを示している。
 燃え盛る炎にも似た紅色の髪をポニーテールにした、勝ち気そうな瞳をした少女。もう一人は、ふわふわと揺れるはちみつ色の髪をクルクルと巻いた、小さなアンティーク人形のような少女。リナリアとカティアだ。
 今日は聖エレミーヌの聖誕祭であり、国が祝日と定めた日だった。エレミーヌ教徒は敬虔な祈りを捧げ、そうでない人間は心身を休める。首都の方では祭りが催されるようだったが、ここ、アルベルタに住まう人々にとっては、ただの祝日と大きな変わりはなかった。
 多くの人で賑わう大通りを歩きながら、リナリアはちらりと隣を見る。
 気が進みませんという意志を体全体で表現しているカティアが、そこにいた。肩を落とし、視線は下を向き、カティアの身長よりも高い杖型の魔導器を引きずっている。心なし、平坦な胸の前で揺れているクルクルも元気がないようだった。
 やれやれ、そこまで嫌なのかしら。
 カティアと同じ杖型の――といっても、学院支給品はみんな杖型なのだが――魔導器を弄びながら、リナリアは嘆息した。
 前言撤回は負けと思っているカティアは、約束の時間にしっかりとやってきた。魔術行使のためには欠かせない魔導器も持ってきていたし、「物理防御力上昇」と「衝撃緩衝」のエンチャントが施された防具品もしっかりと身につけていた。さすが実家が大富豪。学院の一生徒が持つにしては不相応なレベルのものばかりだ。
 それだけでもう、レベル1に生息する魔物<ガイツ>の攻撃はほぼ無効化できるだろう。少なくとも、カティアの憂うように角うさぎの角でぶすっとはならないはずだ。
 だというのに、カティアの顔は晴れない。まるで嫌なことが起きて当たり前とでも言いたげな顔だった。
「ほら、そんな辛気くさい顔はしないの。私までじめじめしてくるでしょ」
「……いいですわね、リナリアさんは。いつも脳天気そうで。きっと頭の中はいつも雲一つない晴天なんですわ。わたしは雨の方が好きですけど」
 ああダメだ。発言に脈絡がない。だいぶ追いつめられているらしい。
 カティアの様子に、リナリアは頭を振った。
「あのね、なにも死ぬってわけじゃないんだから、もっと精気のある顔をしなさいよ」
「前衛もいないっていうのに、どうしてそこまで元気一杯の顔ができますか。あなた、事の重大性をわかってらっしゃるの? 魔術士<メイジ>が前衛もなしで戦うなんて、想像しただけで……ふぁあああああっ」
 カティアが、ため息なのか悲鳴なのか判別に困る嘆きの声をあげる。それはそうだけど、というリナリアの返事は、果たして聞こえていたかどうか。
 魔術士<メイジ>は、魔術と呼ばれる技を用いて現象を操る。魔力を媒介に、詠唱を引き金に、魔導器を発動体として。
 ひとつの火球を生み出すのにもその工程を無視することは出来ないため、魔術の発動には必ずタイムラグが生まれてしまう。行使する魔術が高度になるほど、詠唱に時間がかかる。その間、無防備となってしまう魔術士<メイジ>を守り、発動までの時間を稼ぐのが前衛の役目だ。
 それがいないとなると、苦戦は必至だろう。
「まあ、大丈夫でしょ。せいぜい1、2階を散策するくらいのものだし、これだってあるもの」
 リナリアがマントをめくって見せたのは、後ろ腰に装備していたショートソードだった。主武装とするには威力も強度も心もとないが、それでもレベル1の魔物を凌ぐ程度には十分だろう。
 リナリア自身、剣はいざというときの護身程度の心算だったのだが、前衛がいない以上、自分が兼任するつもりだった。カティアが戦闘補助魔術を使えるため、レベル1なら問題もないだろう。
 リナリアのような少女が使うには無骨なショートソードを見て、カティアは顔をしかめた。
「なんて無茶な……と言いたいところですけど、剣技の成績も優秀ですものね、あなた。魔術士<メイジ>が剣に頼るなんてと教官が嘆いてましたわよ」
「あら、使えて困るものでもないでしょう? 魔術士<メイジ>が剣を持っちゃいけないなんて規則もないし」
「それはまあ、そうですけど……というか、本職の前衛がいれば全部解決だったのではなくて?」
「仕方ないでしょ。どの男も鼻の下を伸ばしてるようなろくでなしなんだから。魔物よりも男を気にしなきゃいけないなんてごめんよ、私」
「わ、わたしだってごめんですっ!」
 もちろん、当初はふたりでいく予定はなかった。最低でもひとり、できれば2人の前衛がいれば完璧だ。未熟な学生といえど、レベル1なら怪我の心配もなくやっていけるだろう。
 が、ここで2人の交友関係の狭さが問題になった。
 普通であれば、友人の伝をたどって頼むのだろう。しかし、リナリアには友人らしい友人はいない。カティアもまた、友人は多いとはいえないし、そもそも男子が苦手だった。
 ギルドに依頼をすることも考えたが、時間もお金も足りなかったし、そこまで大げさな話というわけでもない。
 どこで盗み聞きしたのか、俺がついていってやると立候補してきた男子生徒も何人かいたが、全員が全員、目が獣だった。美少女と<迷宮>最高です! なんて声が聞こえてきそうな顔だった。無論、断った。幸いにして、いつ行くのかは知られていなかったようで、今はまだ誰とも会っていない。もし無理やり参加しようとするなら魔術行使も辞さないつもりでいるリナリアだ。
 結局、リナリアが前衛をしながら、ごく浅い階で特訓しようということで落ち着いたのだった。
「うー……仕方ないとはいえ、あなたの補佐をすることになるとは……屈辱だわ」
「アンタねえ。それは魔術士<メイジ>としてダメだと思うわよ」
 補助魔術士を選択しておいて、なにを言っているのだろうかこの子は。そんな目で見つめる。
「……まあ、せいぜい気をつけてくださいまし。女子が肌に傷を残したら大変ですからね」
「あら? 心配してくれるんだ?」
 リナリアがいたずらっぽく笑うと、カティアがかあっと頬を赤くして声を張り上げた。
「あ、あなたが倒れたら自動的にわたしも道連れなんですから! そういうことにならないようにと言っているだけです! くれぐれも勘違いなさらないようにっ!」
「はいはい。分かってるわよ」
「その顔は分かってらっしゃらないでしょうが! なんですかその目は!? まるで子犬を見守るような微笑ましい目をやめなさい!」
 きーきーと騒ぐカティアを気にした風もなく、リナリアは笑いながら足を進める。
 人通りは多く賑やかで、カティアの声もすぐに喧噪の中に消えていく。
 もうすぐ昼食時ということもあって、あちこちから肉の焼ける音が聞こえ、香辛料の香しい匂いがただよっていた。
 リナリアは出かける前に軽く食事をとっていたが、それでも食欲をそそられるほどだ。
 と、不意にきゃんきゃんと声を上げていたカティアの声が止まる。同時に、カティアのお腹から響いた可愛らしい音を、リナリアは耳にした。
「<迷宮>に行く前に、なにか食べる?」
「……うぅ、乙女の恥を聞かれてしまいましたわ……」
 問いに返ってきたのはカティアの泣き言だった。そこまで気にしなくてもいいのにと思いつつ、手ごろな店を探す。
「あ、できれば甘い物も食べられるところがいいですわ」
 きょろきょろと辺りを見回すリナリアに、カティアがちゃっかりと注文をつけた。この人混みの中では、カティアの身長では人しか見えないのだ。
「それは別にいいけど……この辺りでそんな店ってあったかしら?」
 この先にあるのは<迷宮>だけだ。行き交うのは必然的に冒険者<ミスト>になる。そんな通りにあるのは、大衆食堂に、酒場に、情報屋、武器屋に防具屋に鍛冶屋に……と、普通の女子供には親しみのない類の店ばかりだった。
 食事どころは多いが、果たして甘いものまで取り扱っている店となると―――
 視線を漂わせたリナリアの目が、ひとつの店にとまる。あそこなら、確かにそういう物も取り扱っているだろう。いや、でも、あそこは。
「あそこがいいですわね」
 すぐに候補から外そうとしたところで、カティアが声をあげた。指さすのは、今まさにリナリアが見ていた店だった。
 あ、ちょっ―――と声をかける前に、カティアはさっさと歩いて行ってしまう。その行動力で<迷宮>にも行ってくれないものかと頭の隅で思いながら、カティアの後を追う。
 目指す先の店には、大きな看板が掲げられていた。
 木の枝に止まった大きな鳥が翼を広げ、今まさに飛び立たんとするその一瞬が描かれている。タッチは荒々しいが、同時に繊細でもあった。いくつもの店が並ぶ中で、その看板が飛び抜けて目を引く。
 興味を引くものを見つけた子供のように駆けていくカティアの背を追いながら、リナリアは心臓が脈打つのを感じていた。
 あの店にはアイツが―――
 緊張なのか、それとも怖いのか。自分でもよくわからない。どくどくとうるさい心臓の音を聞きながら、リナリアは店の前に立っていた。
 看板に書かれた店名を見つめる。
 入るのは1年ぶりだった。アイツに会うのは何ヶ月ぶりだろう。
 足が竦んで動けなくなる前に、リナリアは扉に手をかけた。まるでよくわからない何かに背中を押されているようだった。
 ―――カランカラン
 ドアのベルが、鳴り響く。

 φ

 問題というものには、かならず原因が存在する。これは基本的にどんな類にも適用されることだ。原因がわかっているのなら、それを改善するだけで問題は解決するだろう。しかし、なにが原因なのかがわからないのであれば、まずやることは原因の究明だ。
 しかし、その機会さえ与えられない場合はどうしたら良かったのだろうか。やっぱり、無理やりにでも捕まえて話を聞くべきだったか。いやでもあの頃はじーさんが死んだり喫茶店の開店準備で忙しかったりでごたごたしてたし、開店したらしたで軌道に乗せるのに必死だったし―――
 頭の中でもやもやと悩みながら、僕はスパゲティを茹でるためにお湯を沸かす。ここは異世界なので、正しくは「スパゲティらしきもの」だが、スパゲティでいいだろう。めんどくさいし。
 うちの店はキッチンカウンターみたいな形になっている。お客さんの目の前で料理をするので、ラーメン屋さんと似た造りかもしれない。料理人を雇う予定も予算もなかったので、僕ひとりでどうにかできるようにと考慮した形だった。
 興味津々で僕の調理を見つめている金髪クルクルの少女にやりづらさを感じながら、僕は注文されたトマトスパゲティを作っていた。自分の動きを逐一、誰かに見られているのはちょっと居心地が悪い。
 けれど、僕よりも居心地悪げにしている人間が、そこにいた。
「ねえ、あなたは何も頼まないの?」
「……私はいいわよ」
 ぶっすーとした顔でそっぽを向いていたリナリアに、金髪クルクルが声をかける。
 赤い髪のポニーテール美少女という印象は、会ったときから変わっていなかった。こうしてまともに向き合うのは一年ぶりくらいだろうか。しばらく見ないうちに美人になったねえと、親戚のおばちゃんのような感想を抱いてしまう僕だった。
 リナリア=リーフォント。
 まだじーさんが生きていた頃。僕がこの世界に来てすぐの頃。僕はまだまだ子供で、いきなり異世界に放り出されたこともあって、じーさんの家にいじいじと引きこもっていた。そんな僕を無理やり家から引きずり出し、あっちへこっちへと引っ張り回してくれたのが、この女の子だった。一年前にちょっとした事件があって、それからなぜか疎遠になってしまったのだけど。
 お世話になった子と世間話もできないというのは、ちょっと寂しいことだった。それに、なによりもリナリアは美少女である。赤髪の美少女である。僕も男であるからして、可愛い女の子と仲良くなるというのは、すばらしい魅力を感じるわけで。
 だから僕としては、せめて友好的な関係を築きたいのだけど……まあ、ちょっと問題があるわけで。
 原因はたぶん一年前の事件だろう。けれど、何度その事件を思い出しても改善すべき点が見当たらないのだ。むしろ、よくよく考えると結構良い感じのフラグを立てた気がするのだけど。リナリアを守って大怪我とかまでしたんだから、これは普通「好き! 結婚して!」という流れになるものじゃないだろうか。常識的に考えて。
 いや待てよ。逆にあそこで怪我をしたのがマズかったのかもしれない。血をだらだら流しながら、カッコつける僕の姿は……あれ? 意外と情けないぞ。待て待て待て。まさか僕は自意識過剰だったのか? カッコいいと思っているのは自分だけで、周りの友達は「あれはない」とか思ってたみたいな状況? あ、やばい。無性に死にたくなってきた。
 そりゃ距離も置かれますよねー。
 調理の作業を平行しながら、僕の精神は多大なダメージを受けていた。ダメだ。もう忘れよう。これはなかったことにしよう。
 若き青春の苦い思い出を丁寧に消去した僕は、フライパンに注いだオリーブオイルに潰したニンニクを入れる。
 異世界といっても不思議なもので、名称と見た目は違っていても、味はそっくりという食材が山ほどある。コーヒー豆だとか、チョコレートだとか、にんにくだとか、トマトだとか。
 そういった食材は、ときどき食用に向かないと思われている。こうして僕が料理をしていると、「え、それを使うんですか?」なんて驚きの声がかけられることもあった。
 オイルが温まってきたところで、後ろの棚から適当に5、6個のスパイスを取る。カルダモンもどきに、ローズマリーもどき。バジルもどきに、オレガノもどき。クローブもどきはやめとこう。
 並べたスパイスをフライパンの中へ目分量で入れていく。向こうの世界で昔、読んだ本に書いてあった作り方だ。これが作るたびに微妙に違う味になっていて、しかも美味しいので、僕のお気に入り料理だった。
 5種類も入れたところで、いろいろな香りが混じった匂いがしてくる。金髪クルクル少女の「あ、いい匂い……」なんて呟きに気をよくしながら、沸騰したお湯にたっぷりの塩を放り込む。続けて、一人分のスパゲティを掴んだところで、少し考える。2人分に掴み直して、鍋の中へ。
「そういえばあなた、いつもお金を使いたがりませんわね。服も全然買っていないんでしょう? いつも制服ですし」
 盗み聞きをするつもりはなかったが、なにしろカウンター席である。勝手に会話は聞こえてくる。
 なぜか不機嫌そうな様子で、リナリアが答える。
「ちょっと欲しいものがあったから貯めてたのよ」
「欲しいもの? もうずいぶん前から控えてらっしゃったみたいだけど……そんなに高価なものなの?」
「まあね」
 クルクルの少女とは目も合わさず。僕の方には一切目を向けず。っく、そんなに痛い奴と思われてたのか僕は。あの時の僕よ、死ね。
 思春期だったのだから仕方ないと自分に言い聞かせながら、オイルとスパイスを馴染ませるようにヘラで混ぜる。
 頃合いを見て、冷蔵庫的なものからトマト的なものを取り出す。前日の仕込みでトマト的なものはすぐに放り込めるようにしているので、これをフライパンに流し込むだけだった。
「せっかく素がいいんですから、もっと着飾ればよろしいのに」
「いいわよ、そういうの。とくに興味ないし」
「乙女がいつも制服なんていうのはダメですわよ。乙女は常に美しくあれ。おばあさまのお教えですわ」
「乙女って柄じゃないから遠慮するわ」
 とろりと溶けたトマトがスパイスとオイルに混ざるのを見ながら、リナリアと金髪少女のやり取りを聞く。楽しそうだなあ。リナリアは不器用な子だったから、学院寮に入ると聞いたときはちょっと心配したのだけど、なんだかんだでうまくやっているらしい。
 お湯の中で踊るスパゲティの硬さを確かめてから、フライパンに移してソースと一緒に加熱する。味を調えて、出来上がりである。
 2人分の皿を取りだし、トマトスパゲティを分ける。フォークと一緒にそれをカウンターに乗せると、金髪少女が歓声を上げた。喜ぶ子供というのは実に和む。
 わき目も振らずフォークを取った金髪少女が一口。
「美味しい! 初めて食べる味ですわ!」
 そりゃまあ、異世界料理だしね。
 とか思いながら、子犬のように食べる姿を見ていると、おずおずとしながら不機嫌そうな声がかけられた。
「……ねえ、私は頼んでないんだけど」
 皿をこっちに押し返しながら、リナリアが言う。ツリ目気味の紅い瞳はそっぽを向いていた。
「まあ、久しぶりの再会記念ってことで。当店のサービスでございます、お客様」
 演技がかった声音で言うと、リナリアがぐっと言葉を詰まらせた。
 目の前にあるトマトスパゲティを見つめながら、いくらか逡巡し、振り切るようにそれをこっちに押し返す。
「……お腹、いっぱいだし」
 手がぷるぷると震えているのを見て、僕は思わず笑ってしまう。一年というのは短くない時間だけど、変わらないことも多いようだった。
「あれ? リナリアはこれ好きだったでしょ? 大皿で作っても、いつもぺろりと食べてたし」
「ちょ、ちょっと、いつの話をしてるのよ!? 2年近く前でしょそれ!」
 まるで借りてきた猫のように静かだったリナリアの、被っていた猫が剥げた。
「2年近く前だったとしても、事実は事実だよ。僕は、がつがつとスパゲティを食べていたリナリアの姿を忘れない」
「忘れなさい! というかがつがつなんて食べ方はしてないわよ! もっとお淑やかで上品に食べてたでしょうが!」
「……え?」
「なによその顔は」
「心の底からまさかと思っている顔ですけど何か?」
「……地味にむかつくわね」
「ねえ今どんな気分? ねえどんな気分?」
「だからむかつくって言ったでしょうが! たった今!」
 ああそうそう。こんな感じこんな感じ。
 なつかしいやり取りににやにやと笑っていると、リナリアはそんな僕の顔を見て、かあっと赤くなった。
 そしてうぐぐと僕を睨み、それからはあと深く嘆息した。「なんでアンタは、もう……」という意味深な発言をしてから、開き直ったようにフォークをとる。どことなく上品さを意識したような動きで口に運ぶと、リナリアは悔しそうな顔になった。
 けれど期待した言葉はなかったので、僕はにやにやといやらしく笑みを浮かべながら、リナリアに訊く。
「どうですか、お客さん。お味の方は」
「…………」
「あれ? 聞こえないんですけど」
「……しいわよ」
「え?」
「美味しいわよ! 美味しいです! 私の好きな味ですけどなにか!?」
「いえ、なんでもない、です」
 あまりの勢いと僕を睨む視線に、思わず怯んでしまう。
 そんな僕を尻目に、リナリアはぶつぶつと言いながらトマトスパゲティを勢いよく食べ出した。開き直ったのか、昔のように豪胆な食べ方だ。「まったくコイツは……」とか「成長してないんだから……」とかぶつぶつ言っているが、問題ないだろう。
 ぱくぱくと食べていくリナリアを見ていると、不意にこちらに突き刺さる視線を感じた。というか、隣にいるんだからそりゃ分かるだろう。
「あら、あらあらら? あなた方、もしかしてお知り合いですの?」
 金髪をクルクルにしたお嬢様ヘアーの子が、興味深げな視線で僕とリナリアを見る。
 その言葉にむぐっと喉を詰まらせたリナリアは、もぐもぐごっくんと飲み込んでから、金髪の少女に向き直る。
「いや、えっと、コレはね」
 コレとかいうなコレとか。
「そのう……」
 言い淀むリナリアの表情から何かを読み取ったのか、クルクル少女がにたりと笑う。それは、ゴル爺さんが他人をからかう時に浮かべる顔によく似ていた。
「もしかして、恋人関係なのかしら?」
 その言葉に、僕とリナリアは無言で顔を見合わせる。
 恋人なの?
 まさか。
 じゃあ友達?
 近いけど、なんか違う。
 なら悪友とか。
 それもなあ。
 知人でどう?
 もう少し柔らかい感じだと思う。
 知り合い。
 もうちょっと無難にいこう。
「というわけで」
「顔見知りになったわ」
「いえ、ちょっと待って。いろいろと言いたいことがあるの」
 金髪クルクルが頭を抱えていたが、どうしたのだろう。

 φ

 あの後、僕とリナリアの関係を根掘り葉堀り聞き出そうとしたカティアという少女だったが、予定があるということで嵐のように去っていった。リナリアに引きずられていたのだが、そんなに嫌なのだろうか。<迷宮>に行くとのことだったから、やっぱり嫌なんだろう。僕も嫌だし。
 しかし、結局最後までぶつぶつと何かを言っていたリナリアが謎だった。なんとなく会話はできたものの、やはりどこか壁のある感じだったし。距離を開けられているというか、遠慮されているというか。なんだかなあ。
 リナリアには、僕が落ち込んでいた頃にずいぶんとお世話になった。だから、できれば仲良くしたいのだけど。恋人的な意味じゃなく、友人的な意味で。
 喫茶店のマスターという職業は、多くのお客さんと知り合いになれる。でも、それはあくまで職業上の関係なわけで。それを抜きにすると、僕には友人らしい友人が少ないことに気づく。誤解しないで欲しいのだが、決して僕のコミュニケーションスキルが低いとか、僕と友人になってくれるような物好きがいないとか、僕が引きこもりだとかいう意味ではない。
 だからまあ、できればリナリアとは友達でいたいのだけど……。
「距離あるからなあ」
 うーむ、何が原因なのかさっぱりなせいで、どうしようもない。困った。リナリアって、今は学院の寮生活だから、家に突撃して「お話しよう!」とかも出来ないし。
 人生、ままならないものである。
 ひとりもお客さんがいなくなった店内を出て、空を見上げる。まるで僕の心のように、空は厚い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうだった。うむ、黄昏る僕ってかっこいい。
 意味もなくにやりと笑ってから、僕は店内に戻ろうと踵を返す。
 ちょうどその時、時計塔の針が動き、時刻を知らせる鐘が鳴り響いた。鐘の音に揺さぶられたように、空からぽつぽつと雨が降り出す。湿った空気が、頬を撫でた。
「……なーんか、嫌な予感がするなあ」
 よし、今日はもう店仕舞いにしよう。久々にじーさんの銃の整備でもして、ゆっくり風呂に浸かってから寝よう! そうしよう!
 早々に決断して、扉に掛けていたプレートを「準備中」に変えてから、僕は店内に戻った。
 耳にする人間になにかを告げるように、時計塔の鐘が何度も鳴り響いていた。
 ある日の、午前のことだった。
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